専門を異にするメンバーによるデザインユニット FRAD (Field Research and Design) のジャーナル『Open Field Notes』
Design ThinkingInnovation、Ethnographyを始め、多様な話題を多様なメンバーがお届け
About Us / Home Page(準備中) / Twitter: FRAD_tweets / Facebook: Facebook Page / Contact(お問い合わせ)

2012/01/13

デザイン思考は死んだのか - Grant McCracken氏の論考より

このエントリーをはてなブックマークに追加

(via fastcodesign)
Grant McCracken氏は先日、fastcodesign「Is Design Thinking Dead? Hell No(デザイン思考は死んだのか?そんなことはない)」という名の論考(英文)を公開した。タイトルには"Hell No"がついていることで、幾分ポジティブな印象である。今回は、当該論考をかいつまんで紹介したい。


McCracken氏は、シカゴ大学で文化人類学の博士号を取得。有名な著書には"Culture and Consumption"(1&2)がある。その名の通り、人類学的な観点から、消費者の行動(家や車を購入する事)や、自己投資(美術館に足を運ぶ事)、広告(意味のマネジメント)などに言及している。




同論考は、主として(別記事である)Bruce Nussbaum氏のデザイン思考に対する警笛への返答だ。いくつかのパートに分けて以下に紹介していく。



▶万策は尽きたのか?

McCracken氏より少し前にBruce Nussbaum氏は、"Design Thinking Is A Failed Experiment. So What's Next?(デザイン思考は失敗に終わった実験だった。次は何だろう。)"というタイトルで記事を投稿している。タイトルからも分かるように、「デザイン思考の万策は尽きたので、次に向かわなければ」という姿勢が伺える。

しかし同時に、Nussbaum氏は、今のデザイン思考の立役者でもあった。彼を追う事で、みなデザイン思考の文脈でキャリアを築く事ができた。P&Gといった企業は新たに投資や雇用を見直し、エール大学は新しいコースを設置し、スタンフォード大学はd-schoolをもうけ、トロント大学は既存のMBAプログラムを書き換え、IDEOのようなデザインファームは自身の看板を確固たるものにした。

Nussbaum氏は、「万策は尽き、デザイン思考は既に社会やデザイン関連職に与えることのできる全てを与えきった」と述べ、問題なのは、「企業は、デザイン思考を体系化しようとし、逆にそのプロセスの中でデザイン思考を矮小化させてしまった」ことだという。

デザイン思考の立役者の一人である彼が、デザイン思考から別の方向に舵を切ろうとするのに対し、McCracken氏は戸惑いを隠せない。デザイン思考は、社会に提供出来る全てを提供したのだろうか?そして、われわれは次を探さなければいけないのか?という問いから同記事はスタートする。



▶デザイン思考のもたらしたもの

デザイン思考は、企業に貴重な何かをもたらした。例えば、かつては複雑に絡まったデータや問題群、ビジネスモデルの変遷と格闘していたようなビジネスマンを、柔軟な問題解決人へと進化させた。

デザイナーの仕事を参照し、デザイン思考の文脈の中に息衝かせる過程で、彼ら(デザイナー)は複数の視点・解決法をミックスし、マッチングするのに長け、左脳と右脳の垣根を越えた活動ができるという気づきを得る事ができた。特に、「クリエイティビティ」「分析」といったまったく別の事柄に関して、ほとんど同じ調子で会話をすることができた。(Daniel Pinkがintellectual mobility論で称賛しているような)



▶"文化"

しかし、デザイン思考にダメな点がないというわけではない。McCracken氏に言わせれば、人類学から拝借した"ethnography(エスノグラフィー)"という名の仕事には、詐欺のようなものも混ざっているという。トレーニングは不十分だし、実践はぞんざいである。本物のエスノグラフィーを裏付ける、人々の考えや感覚の微妙な差異に対する理解は、ほとんどおこなわれていない。


デザイナーは文化についてあれこれ語るが、このデザイン思考の欠陥に触れることは少ない。例えば、トロピカーナのパッケージデザインの失敗が示しているのは、デザイナーがアメリカ文化(文化圏を見渡した文化)よりも、デザイン文化に興味をもっているということある。




デザイナーは、システマティックな研究や、目的の全体像見据えない限り、「文化を知る」などということに関して現実的な話をすることはできない。デザインコミュニティーにおいて、そのような試みがなされたことを未だ知らない。

私たちは、これらの歯車が全てかみ合ったときにデザイン思考がどうなるかを想像することしかできない。(期待を込めた論調で)



▶デザイン思考は始まったばかりだ

まだ、デザイン・シンキングの時代が終わったと見なすには時期尚早である。企業は、往々にして新たな困難に直面している。ブラックスワンと不意打ちにあふれた混乱と暴風雨へと向かっている。

これまで任意のものだったイノベーションは、いまや義務のようになり、新たな機会(ブルー・オーシャンやホワイト・スペーシズ)やコンスタントな自己再組織化は構造的な必須事項となっている。

マネジメントのビジネスはかつてルールに縛られたもので、階層的に組織され、慣例により決められ、指導者により統治されていた。今や同じ手段をとることは、飛行機を夜にレーダーや光なしに操縦するようなものだ。

このような世界で、デザイナーは、類い希な価値を創出することができる。彼らこそ、問題を解決し得る人々であり、世界が何を求め、どのような長期的な軌道を描く為にどのような情報を組み立てることが必要かを嗅ぎ分けることができるはずだ。デザイナーはデファイナー(Definer/定義者)になり得、世界をより理解されやすく、より住みやすい場所へと変えることができるはずだ。しかし、もし上述のような前時代的な困難に遮られてしまえば、彼らは活躍できる場から去ってしまうであろう。

デザイン思考が、我々に「提供出来る便益はすべて出し切った」と言いきるのは未だ早い。そして、それを「失敗した実験」と呼ぶのも間違いである。むしろ、「デザイン・シンキングは始まったばかり」である。われわれは未だかつて無く、このアプローチを必要としている。

⇒元記事: Is Design Thinking Dead? Hell No - Grant McCracken



【リンク】
Is Design Thinking Dead? Hell No by Grant McCracken on fastcodesign
Design Thinking Is A Failed Experiment. So What's Next? by Bruce Nussbaum on fastcodesign
Peter Arnell Explains Failed Tropicana Package Design - AdAge.com

0 件のコメント:

コメントを投稿

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...